北野武最新作映画「Broken Rage」の口コミがすこぶる振るわない。
合わない人には全く合わないし、「つまらない」と言われればその通りと言える。
「前半も以前のようにキレがない」「後半のコントも全然面白くない」「1時間がもったいない」など厳しい意見が多いし、自身も面白かったかと言われれば、答えにつまってしまう・・
だが、自ら実験作品と言っているし、何か意図があるはずと考えた。
今回は製作がAmazon MGMスタジオ。AmazonPrimeオリジナル作品となっているため、かなり自由に製作できたのではないかと思う。
映画の解釈は人それぞれだし、本当の意味は作品を作った人しか分からない。
あくまでも一つの解釈として読んで頂けると嬉しいです。
あらすじと概要

- 製作:日本 2024年
- 上映時間:60分
- 監督:北野武
- 脚本:北野武
- キャスト:ビートたけし|浅野忠信|大森南朋|白竜|中村獅童
殺し屋の男”ねずみ”はあるとき捕まってしまうが、警察から釈放の代償として覆面捜査官となって麻薬組織に潜入するよう命じられる。前半はシリアスに物語が進むが、後半は前半の話をセルフパロディし、コメディとして描く・・・北野武自身が監督・脚本・編集を手掛けた1時間程度しかない実験的作品。
\『Broken Rage』はPrime videoで配信/
第81回ベネチア国際映画祭に出品
『Broken Rage』は第81回ベネチア国際映画祭で世界初上映され、非常に好評を博しました。
上映に先立つ記者会見で北野監督は、「今回はテレビの画面で観る映画だし、自分でやってみたいことをテストケースとして気楽に撮った。それがまさかこんな(ベネチアに来る)ことになるとは。もっと真剣にやるべきでした」と答えて場内の笑いを誘ったそう。
- 上映中は笑いと拍手が巻き起こり、観客の反応は非常に良かった
- 上映後、6分以上に及ぶスタンディングオベーションが行われ、北野監督自身が照れ臭そうに制止するほど・・
- 北野監督は「『HANA-BI』の時よりも、スタンディングオベーションが長く、面積とか体積で言えば今回が一番」と手応えをかんじたとのこと
- 「ベネチア国際映画祭には何度も来ているけど、今回は、その中でもトップ3に入る程反応が良かった」と監督は述べている
前半と後半に分けたのは、「パロディ映画の場合、その基本になるものが有名であれば、すぐにパロディとして通用するが、オリジナルのストーリーの場合、パロディになる部分を前半に流さなければならない。だが、長いと飽きるし、短いとそんなにパロディにできない。1時間という枠がちょうどいいバランスだった。 北野監督
これ言い換えるとパロディ映画をもともと作りたかったってこと?
パロディ映画とはもちろん今まで手掛けてきた暴力を扱った映画の事を指すんだけど。
フィルモグラフィーを振り返ると、いくつかの転換期があるのは皆さんもご存じだろう。
そして彼は自身の作品スタイルと戦ってきた。破壊と創造をくり返してきたとも言える。
- 生と死がテーマ(純度が一番高い):その男、凶暴につき~BROTHER
- 映画作家、芸術家として:Dolls~アキレスと亀
- エンタメに振り切る:アウトレイジシリーズ
- 映画作家、芸術家、コメディアンとしての集大成:首
- すべてにリセットをかける:『Broken Rage』
〈考察〉『Broken Rage』なぜ作った?

不思議に思われるかもしれませんが、「死」と「ユーモア」は、とても深い関係があります。自分が「死」に直面した時に過剰な恐怖や不安を和らげるだけでなく、緊張をほぐして、怒りの感情を鎮め、苦悩のさなかにあっても、自分を客観視して笑い飛ばせます。
アルフォンス・デーケン
北野映画は表面上、暴力や死を扱った作品が多い。だが、私の解釈は笑いを突き詰めていった先に、暴力や死という表現になってしまったと認識している。
これはこじつけかも知れないが、《アウトレイジ》の怒鳴り合いは一見怖くも見えるが、お笑いのボケと突っ込みを激しくしたようなものだし、同じく《アウトレイジ》の人が殺されるシーンは、どうやって殺そうかと考えるのが面白いと監督は言っていた。⇒お笑いのネタを考えることも同じ?
ホラー映画好きのほとんどは、どのように殺されるか見て楽しんでいるところがある。(※誤解しないで欲しいが決して犯罪を犯したいというわけではない)
お笑いと暴力の共通点?
これは北野武監督と中田敦彦が対談を行った時の監督の哲学だ。
【北野武】中田が最も憧れた男、世界の北野が映画、笑い、そして時代を語り尽くす!そして中田への助言とは!? 中田敦彦のYouTube大学より
『Broken Rage』は配信向けという枠だからこそ実験的な試みができた。前半のバイオレンスと後半のセルフパロディという構成。
笑いと暴力の共通点がバイオレンスという解釈ならば、一見、違うことをしているようで、実は前半も後半も同じことをしていることになる。ならばこの作品の意味は?と言われそうだが・・・・
彼は『Broken Rage』で世界の映画人としてのイメージをいったん壊そうとしている。
それはまっさらに戻すという破壊だ!
映画人としての自分をリセットしたい
⇒自分を破壊する。
⇒破壊した後どうなるか?・・
⇒それは創造だ。
つまり生まれ変わるという事であり、ここから彼はまた新しい彼を作ろうとしているのだ。
彼は自分が思うより、映画人として大きくなり過ぎた。極端に言うと、もう一度ただのコメディアンに戻って笑いを追求したいのかも知れない。
今までのすべてを破壊する。自身の作品を踏襲したような暴力映画を、パロディにしてわざと台無しにする。パロディではあえて白Tシャツ1枚になり、腹も出し無様な姿を見せる。
「世間が凄い凄いと賞賛するようなものでもないよ」とも言わんばかりだ。
映画におけるキュビズムの追求

北野監督が様々なインタビューで口にする《キュビズム》という単語。
立体派とも呼ばれ、19世紀後半にフランスで始まった芸術運動。物体や人物が立体的に分解され、複数の視点から見た形状を平面上に再構成すること。具体例はピカソの絵をイメージすると良い。
キュビスムの美術の分野における影響は大きく、絵画にとどまらず、彫刻、デザイン、建築、写真にまでその影響は及んでいる。映画ではタランティーノ監督が本能的に行っていると思う
映画におけるキュビズム
映画は100年ほどの歴史しかなく、まだ未開拓の表現が多い。北野監督は、「映画におけるキュビズムとは何か?」を模索している。それが「シーンをランダムに並び替える」という手法だ。タランティーノ監督が得意とする手法でもある。
映画的《キュビズム》である理由
キュビズムとは、物体や人物を複数の視点からとらえ、再構築する表現方法である。絵画ではピカソが代表的だが、映画においては明確なキュビズムの表現は確立されていない。北野監督はこの視点を映画に取り入れ、「シーンの順序を変えることで、観客が何度も見てようやく全体像を理解できる構造の映画」を考えているようだ。
続けて撮影した前半と後半
例えば、通常の映画は時系列に沿って進行する。今回では、多くのシーンを事前に撮影し、それをビンゴのようにランダムに並び替える。また、前半シーンを撮ったすぐ後に、後半のパロディシーンを撮影した。
- 物語が結末から始まることもあれば、中盤から始まることもある
- 何度も見ることで、異なる視点から物語を理解できる
- 映画を一つの固定された流れとしてではなく、多面的に捉える体験ができる
このような手法は、まさに映画におけるキュビズムと呼べるだろう。
Point(まとめ)
映画の歴史はまだ浅く、さまざまな表現の可能性が残されている。今作がキュビズム的な発想を映画に持ち込んだ1つの例として、未来に再評価される日が来るかも知れない。
まとめ:新しい北野作品が生まれる?

『Broken Rage』は合わない人には全く合わないし、「つまらない」と言われればその通りと言える。
むしろ1回見れば十分な作品だ。
だが、この作品は《面白い、つまらない》ではなく、彼の哲学を表現していると言っていい。
『HANA-BI』で主人公が死に向かって進むのは、1994年バイク事故(1994年)の影響で、北野監督自身はあの事故の死を受け入れた体験が根底にあった。(エッセイか何かで、このまま死んでもいんじゃないか?みたいなことが書いてあった気がする)
この事故で生死の境を彷徨っていた時、たけしの夢の中に、事故前の1993年に亡くなった親友の逸見政孝が出てきたとのこと。たけしは「あれは、『まだ俺は死んじゃいけない。』って逸見さんが言いに来てくれたんじゃないかな」と、退院後のインタビューで答えた。
Wikipediaより引用
彼の作品[Rage=怒り]を[Broken=破壊]できるのは北野監督自身しかいない。
賛否両論の作品は挑戦している作品が多い。だからこそ深堀りし甲斐があるというものです。
また新しい北野武が生まれることを願って・・
『サムスン?ソフトバンクじゃないの?』
<わっかるかなぁ、わかんねえだろうなぁ> By 松鶴家千とせさん
ではまた
《キャスト》
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