スペインの超日本オタク、カルロス・ベルムト監督の『マジカルガール』を今更ながら見ました。
数年前の作品で、恥ずかしながら知らなかったのですが、YouTubeでの紹介動画をみて無事鑑賞となりました。
感想は
【一言でいうと頭を殴られたような衝撃が残る作品】
こういう作品はつい人にすすめたくなるのですが、是非見ていない方は予告も見ずに鑑賞いただきたい!
この記事は考察や解説を多く含んでいいます。
未鑑賞の方は今すぐ読むのを中断して本編を見てください。
ネタバレもあるので本編鑑賞後に本記事を読んで頂ければ嬉しいです。
『マジカルガール』は冒頭の話からは予測のつかない結末を迎えます。まだ見ていない方は何も情報を入れず見ていただきたい作品です。
『マジカルガール』には、比喩的な表現も多く、様々な解釈もあるかも知れませんし、好き嫌いの別れる作品かも知れません。
ですが映画好きなら、是非一度は見ていただきたい作品です。
二度と見たくないという方もいるかも知れませんが・・・・
またカルロス・ベルムト監督の新作が公開されました。
興味のある方はこちらもチェックしてみてくださいね。
2024年年4月19日(金)よりカルロス・ベルムト監督の最新作『マンティコア 怪物』が全国順次公開されることが決定しました。
『マジカルガール』は題名と中身がまったく違う
それでは『マジカルガール』の深い深い谷へ降りていきましょう(笑)
これは映画の冒頭です。
主人公の一人アリシアは余命いくばくもない12歳。
彼女の夢は日本のアニメ『魔法少女ユキコ』のコスチュームを着て踊ること。しかし父親のルイスは失業中でどこにもそんなお金はありませんでした。
映画の主人公は4人
出会うはずのなかったこの4人が、ルイスのコスチュームを手に入れる為に取った行動から、彼らの運命は予想もしない悲劇的な結末へ…。
『マジカルガール』は題名の印象と中身がまったく違う映画です。
もう一度言います。
少しでも興味を持ったら、読むのを中断して本編を見てください。
マジカルガールの悲劇はどうして起きたのか?
物語の始まりはアリシアの無垢な願いから始まりました。
余命いくばくもないアリシアの願いは、大好きな日本のアニメ『魔法少女ゆきこ』の衣装を着て踊る事。
高額のドレスを変えない為、父親のルイスは宝石強盗を企てようとします。
ですが、友人には『ルイス、よく聞いて。アリシアが望むのはあなたと一緒にいること。ドレスやお金なんて関係ないのよ。』と説得されます。
確かに、アリシアのノートにはこう書かれていました。
アリシアの願い事は3つ
と確かに書いてはありました・・・・が・・・
ラジオでアリシアが、父ルイスにあてた手紙にはこのように書いていました。
『私は病院が好き。だって目覚めたらパパがそばにいるから』←これをルイスが聞いていれば・・・
アリシアの本当の願いは、実は父ルイスと一緒に居ることだったんです。
ですが、物語が進むにつれ、アリシアの願いはルイスの運命を変えていきます。
ルイスは無垢で邪悪な魔法少女に人生を翻弄される
アリシアの願いは父ルイスと一緒に居ることだったはずなんです。
ですが、『魔法少女ゆきこ』のドレスを着たいという願いは、ルイスがドレスを買ってきたことで歯止めが利かなくなります。
アリシアは衣装の空箱を見てわざとらしく「なにかを探す」素振りをします→しかもわざとらしく。
挙句には衣装をキッチンに放置したまま部屋にこもってしまいます。
「アリシアは杖がなくて部屋にこもったのでしょうか?」
アリシアがドレスをみてルイスの元に行けば、その後、バルバラもトカゲの部屋に行くことはなく。ダミアンも罪を犯すことはなかったでしょう。
ですが、ルイスがドレスを買い与えなければ、杖を欲しがることもなかったとも言えます。
だってアリシアの本当の願いは大好きなパパがそばにいてくれることなんですから
ルイスはアリシアという無垢で邪悪な魔法少女に人生を翻弄されてしまいます。
2+2=4は二重思考のこと
【完全な真実とは常に答えが同じであり2+2=4である】
冒頭、裏の主人公ダミアンが、授業で説明しています。
2+2=4という考えはジョージ・オーウェル作「1984年」に登場しました。
二重思考(にじゅうしこう、ダブルシンク、doublethink)とは、ある人が相反する2つの理論にあったら、この2つの理論の間の矛盾点を無視しつつ自然のように受け入れ、他人からその違和感を指摘されても、頑固に矛盾な2つの理論を同時に信じ続けること
Wikipediaより
???となった方正解!
要約すると
二重思考とは相反する考えや情報を同時に受け入れることで、自らの思考や行動を制御されることを指します。
実はこれは各登場人物にも当てはまります。
相反することを望んだ為、彼らは身動きの取れず最悪の結末に進むしかなくなった。
冒頭ダミアンのナレーションは、自分の未来をも暗示していたんです。
ルイスの存在がダミアンの最後のピース
ダミアンがカウンセラーからもらったジグソーパズル。
【ジグソーパズルの完成=彼がまっとうに生きる象徴】
として登場しますが、最後の1ピースがどこを探しても見つかりません。
見ていてどこに行ったのかわからなかった方もいるかもしれません。
最期のピースは・・・そう宝石店の前でルイスが拾って投げ捨ててしまいました。
つまりルイスの存在こそが、ダミアンがまっとうに生きる為の最後のピースだった訳です。
ストーリーを3つの章で読み解く
この物語は3つの章でできています。
- MUNDO=世界
- DEMON=悪魔
- CARNE=肉
MUNDO=世界
第一章の主人公はルイスとアリシアです。
彼らが暮らす現実の世界を映し出します。
アリシアの病気が治る事は恐らくないでしょうし、バルバラやダミアンの過去の罪が消えてなくなることはありません(※二人の過去は言及はされません)
つまり魔法なんてない現実の世界です=だからこそ人は願い事がもし叶ったらと思うんですがね。
DEMON=悪魔
第二章の主人公はバルバラ
バルバラの人物像が語られていきます。
彼女の過去に何があったのか語られることはありませんが、秘密のクラブで服を脱ぐと全身に傷跡があります。
その凄まじい傷跡がどこで付いたにせよ病んでしまう事は想像できます。
言及はされませんが、過去にこのクラブで働いていたが精神を病んでしまう→治療をしたのが今の夫→やがて結婚することになったのかと想像しました。
この映画では見るものに想像させる演出が随所にあります。→例えばトカゲの部屋で何が行われたとか
写さないこそ、どこまでも想像してしまう怖さもあります。
CARNE=肉欲
第三章の主人公はダミアン
ダミアンが出所しますが、「バルバラと再会するのが怖いんだ」と刑務官に答えます。彼にとってバルバラと関わることは人生の破滅を意味します。
なのにですよ?!
バルバラはダミアンに助けを求めるんです。
ダミアンは自宅の前で意識朦朧としたバルバラを、仕方なく部屋にあげ救急車を呼びます。
それでもダミアンは「できれば関わりたくない」平穏な暮らしをしたいと・・・
病室でダミアンに一連の事はルイスにやられたと、嘘の告白をするシーンがあります。
「あなたはいつも私を守ってくれる守護天使だ」とも。
バルバラはどこまでもDEMON=悪魔ですね。
しかいダミアンはバルバラの言葉を信じ、未来を棒に振ってしまう→いや、彼にとって嘘かどうかは関係なかったんです。
ダミアンにとってバルバラはあの時からファム・ファタール(運命の女)だったからです。
ストーリーを4人の視点から読み解く
この作品の主な登場人物は4人の主人公の人生が複雑に絡み合っていきます。
物語の発端が各自の欲望であり、それによって変化していくのがユニークな部分です。
ベルムト監督「欲望のつながり」を1つのテーマとしています。自分の欲求を満たすために、誰かを傷つけてしまうこと──その連鎖を描きたかったのです。
KAI-YOU.netより引用
アリシア
アリシアの病気と闘いながらも、未来を信じて日々を生きている無垢な少女。
ですが無垢な願いは、やがて邪悪さをも呼び込んでしまいます。
ドレスと杖を手に入れた代償はルイスと自身の命でした。彼女にとっては、もともと【余命僅かな命】欲しいものを手にする代償としては安いものだったかもしれません。
銃を手にしたダミアンと対峙した時も、じっとダミアンを見つめていました。死ぬ覚悟は病気にかかった時から出来ていたのかも知れません。
アリシアの無垢で純粋で邪悪な心は、最後までぶれなかったと言えます。
ルイス
彼は一番モラルのある人間でした。娘の願いのために大事な本を売ろうとし、売値が安くて売れなかったりする。その彼が強盗未遂。そして恐喝と罪を重ねていきます。
ルイスを突き動かしたのは最後までアリシアへの愛。
ですがこの愛は罪へと変わっていくのです。
監督曰くルイスは『不思議の国のアリス』の作者ルイス・キャロルからと答えています。
アリシア=アリスの道案内で迷い込んだ世界からは、ルイスは最後まで抜け出すことは出来ませんでした。
バルバラ
バルバラ=人を惹き付ける天性の魅力を持つ魔法少女。
バルバラのモチーフは『ベルサイユのばら』のマリーアントワネットから。
冒頭の過去のシーンではダミアンが数学の先生。バルバラは12歳の少女として登場します。
授業中に手紙の回し読みで楽しんでいましたが、バルバラに回った所でバレてしまいダミアンの前に呼ばれました。
そこでバルバラは証拠の手紙を掌の中で何もなかったかのように消して見せました。
同時に、ダミアン先生が彼女の虜に・・
バルバラは魔法少女と言うよりもはや魔女ですね。
しかし、ラストシーンでは証拠が録音された携帯電話をダミアンに消されてしまいます。
ダミアン
バルバラに魅せられ、彼女の為に罪を犯し服役したであろうダミアン。
ルイスもそうであったように、ダミアンもバルバラという魔法少女に翻弄された悲しい人物。
ダミアンは服役中も出所してからも善人であろうとしています。ですがバルバラの存在が彼の人生をまた狂わせてしまうんですな。
ダミアンにとってバルバラは、もう関わりたくないと口では言っていても、赤い糸で縛られて逃げられないファム・ファタール(運命の女)だったのでしょう。
ダミアンと言えば『オーメン』の悪魔の子の名前です。たしかに最後の行動だけ見ると悪魔的とも言えます。
ですが、彼もバルバラという魔法少女に翻弄され人生を狂わされただけかもしれません。
ラストシーンの消された携帯電話はダミアンのバルバラに対する、ささやかな復讐でしょう。
ベルムト監督の日本愛
カルロス・ベルムト監督にとって日本はパーソナリティ(人格)そのものと語っています。
ベルムト監督
アニメ!アニメ!より引用
純粋に好きなんですよね。文学も文化も。それは自分のパーソナリティーなんです。日本のモノに囲まれていると居心地がいいし、日本のアニメはおもしろい。スペインのアニメとは比較にならないほど『ドラゴンボール』や『聖闘士星矢』『機動戦士ガンダム』が好きでした。バトルやアクションの作画には美的センスが溢れていますし、物語に謎を組み込む方法にも惹かれています。
監督は映画制作前にはイラストレーター、漫画家として活動していました。
スペインでは昔から日本のように、クレヨンしんちゃんやドラえもんが放送されていていたそうで、そこから日本の文化に親しみを持ったというスペイン人も少なくないそうです。
そこからさらに日本の漫画やアニメを知り、独学、大学で日本語や日本の文化を勉強し始める人もいるそうです。
『魔法少女まどか☆マギカ』
『まどマギ』と『マジカルガール』の関連性は映画のテーマです。
『マジカルガール』にはアリシアとバルバラという二人の魔女が登場します。
アリシアはルイス、バルバラはダミアンを誘惑し自分の願いを叶えます。
ベルムト監督曰く、アニメや漫画に登場する魔法少女が自分の欲求を満たすということは、その少女にとってのご褒美になると思っていたのですが、『まどか☆マギカ』では、まどかが自分の願いを叶えても、それはご褒美になるのではなく、罰になる。
KAI-YOU.netより引用
『マジカルガール』でも二人はこれ以上のない罰を受けて終わります。
江戸川乱歩
『マジカルガール』には、想像を超えるであろうこの世の闇(トカゲ部屋)など、あえて描写しない事で、考えられないほどの恐ろしい世界があると想像させる演出があります。
江戸川乱歩の作品も、正常な人間が思いつかない異常な描写がありますが、『屋根裏の散歩者』の主人公郷田三郎が良い例です。
また、丸山(美輪)明宏さんによるテーマ曲「黒蜥蜴の唄」のカバー曲が本作のエンドロールに流れます。
ルイスがドレスを探すのに使った検索サイトが「RAMPO!」というちょっとしたオマージュがあります(笑)
と言うように監督の日本へのリスペクトが伝わってきました。
男というものは、少々陰険に見えても、根性はあくまでもお人よしにできているものだ。そして、女というものは、表面何も知らないねんねえのようであっても、心の底には生まれつきの陰険が巣くっているものだ。
江戸川乱歩
名言大学より引用
バルバラの妖艶な得体の知れない魅力は、まさに江戸川乱歩的と言えます。
『マジカルガール』で一番怖いのはルイスとアリシアを手にかけたダミアンではなくバルバラですからね。
自己犠牲の上で、自身の究極の愛を捧げようとしたダミアンを、あの様な行動に走らせた物は何だったのか?
自身が利用されている事、それを全部判っている上で、それでも女性のために行動する男。そこにあるのは究極の愛なのか?
乱歩自身の言葉を借りれば、「道徳上、法律上の善意は一定不変のものではなく、同じ事が時と所によって、善にもなり悪にもなる」
シネマズプラスより引用
春はSA-RA SA-RAの歌詞
「春はSA・RA・SA・RA」は実は長山洋子さんのアイドルデビュー曲
ベルムト監督は当初スペイン人の作曲に、日本人が歌うオリジナル曲を考えたそうですが、しっくりこなく80~90年代の日本のアイドル曲をYouTubeで探して出合ったそうです。
あくまで感覚的にですが、曲の切なさや哀愁がアリシア、ルイス、ダミアンの人生に重なります。
そしてスペイン語のセリフになぜかハマる。
ああ 桜並木で 風が
ひと荒れしそうな 夕暮れ
あなたは 帰り路を
私より急いでいます
こんな日は SA-RA SA-RA
夢も SA-RA SA-RA
散りそうな片想いです
花びらが SA-RA SA-RA
肩にふれる
好きですと言えなくて 春です
ああ かすむような 夕やみに
何もかも 見えなくなれば
あなたが 他の誰と
通りすぎても 気づかない
春風に SA-RA SA-RA
髪も SA-RA SA-RA
あなたへと なびく恋です
人知れず SA-RA SA-RA
見つめながら
好きですと言えない 私です
こんな日は SA-RA SA-RA
夢も SA-RA SA-RA
散りそうな片想いです
花びらが SA-RA SA-RA
肩にふれる
好きですと言えなくて 春です
歌ネットより引用
その他のキーワードと小ネタ
ここでは作品の小ネタや影響を紹介。
ストーリーと関係ない部分もありますが、より深く知りたい方へ向けたものになります。
アリシア役 ルシア・ポジャンの素質
ルシア・ポジャンについては、まずはこのエピソードを紹介させてください。
死を覚悟した強い意志を感じるまなざしが印象的なアリシア。
ダミアンと対峙するシーンでは、ダミアンも目を見ることが出来ませんでした。
ルシア・ポジャンをアリシア役に決めた理由を監督はこのように答えていました。
同じ世代の少女たちを集めてオーディションした時に、タバコをねだる演技をしてもらったのですが、多くの子は、「お願い」とか「ちょうだい」というセリフで演技をしてくれました。
でも、彼女だけはなぜか「タバコをくれないと腕を折るぞ」と言いはじめたのです(笑)。そのセリフがでた瞬間に起用を決めました。
KAI-YOU.netより引用
不思議の国のアリス
言わずとしれた児童文学書ですが、アリシアの道案内でこの世にある不思議の国に迷い込む登場人物達。
- アリシア=アリス
- ルイス=ルイス・キャロル(不思議の国のアリスの作者)
からとられています。
ルイスをこの世界に迷い込ませたは他でもないアリシアですね。
アリスのモデルとなったアリス・リデルも魅力的な人物です。
アリス・プレザンス・リデル(Alice Pleasance Liddell、1852年5月4日 – 1934年11月16日)は、少女時代にルイス・キャロルの児童小説『不思議の国のアリス』(1865年)および『鏡の国のアリス』(1871年)の成立に関わったイギリスの女性で、一般に両作品の主人公アリスのモデルとされている人物である。
Wikipediaより出典
炎の少女
バルバラがルイスに暴行されたとダミアンに嘘をつかれ、ダミアンはルイスを殺すことを決意します。
殺しに行く前にスーツを着て香水をつけ覚悟を決めるのですが、このシーンで流れるのが『炎の少女』なんです。
曲はゆっくりと始まりますが・・
その昔、フラメンコの発祥でもある放浪の民のジプシーたちがその煮えたぎる愛や憎悪までも歌と踊りにしたというが、まさにそんな思いが伝わってくるような曲調になっています。曲名の訳は「炎の少女」、歌詞からもその熱い思いが伝わってきます。映画の中では、作品のミステリー性をさらに高めてくれるような役割を果たしています。登場人物たちがそれぞれに抱く愛と罪の思いを強調し、不可思議な雰囲気を醸し出す不思議な曲であり、スペインの闘牛なんかも思い起こさせるような曲にもなっています。闘志を出したい時に聞くといいかもしれません。
MovieGizmo-ムービー・ギズモさんより引用
その昔、フラメンコの発祥でもある放浪の民のジプシーたちがその煮えたぎる愛や憎悪までも歌と踊りに
不可思議な雰囲気を醸し出す不思議な曲であり、スペインの闘牛なんかも思い起こさせます。
トカゲの部屋
怪しすぎる「トカゲの部屋」
部屋での出来事はもちろん内部も映りません。
一切見せない事でいくらでも怖いことが想像できてしまうという・・
部屋の入口の上には黒いトカゲの紋章は、江戸川乱歩の『黒蜥蜴』のオマージュ。
監督のリスペクトが伝わってきます。
『黒蜥蜴』は女盗賊黒蜥蜴と名探偵明智小五郎が対決する探偵小説です。
舞台化と映画化されましたが黒蜥蜴を演じた丸山明宏さんの魅力が全開です。
バルバラ役のバルバラ・レニーは丸山明宏さんの黒蜥蜴を参考にしたのは間違いないでしょう。
またエンドロールには映画『黒蜥蜴』の主題歌『黒蜥蜴の唄』のカバー版が流れました。
まとめ:自分が進んでいる人生が正解だとは限らない
ダミアンが証拠の携帯電話を取りにルイスの家に行く。するとルイスの帰りだと思ってアリシアが『魔法少女ゆきこ』の衣装を着て待っていました。
ただ来たのは知らない人物ダミアン。
『春はSA・RA・SA・RA』が流れ沈黙が・・
一度部屋から出たものの戻ってくるダミアン。
アリシアは自分の人生の結末を、ドレスを手にした時からわかっていたのでしょうか?
ダミアンはバルバラと出会ったときからこの結末を予感していたのでしょうか?
その後ダミアンはバルバラに「全部片付けた。二度とあの男は来ない」と伝えます。
ダミアンはその証拠の入った携帯電話をいつかバルバラがした様に、掌の中でふいと消してしまいました。
アリシアの投稿したラジオメッセージをルイスが聞いていたら、この結末にはならなかったのでしょうか?
【自分が進んでいる人生が正解だとは限らない】
何度も考えてしまう作品でした。
頭の中で『春はSA・RA・SA・RA』が何度もリピートされ、人生の儚さが増幅されていきます。
予想の付かないストーリーと現実には起こりえない不思議な世界。胸糞展開と言われればそれまでですが、私は好きな作品でした。
かと言って何度も見たいとも思わない・・・
あくまでこの記事の解釈は私の考えなので、反対の意見があっても歓迎です。
皆さんの考える『マジカルガール』をコメント欄に頂けると嬉しいです。
ではまた
三上博史出演のドラマ版『屋根裏の散歩者』は配信されていませんでした。
もしこちらを見たい方は店舗でレンタルか宅配レンタルになります。
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