【Eddie】はジョンのソロがなんといっても魅力的ですが、 Van Halenをライブまで見に行った身としては歌詞にも注目したいです。
Van Halenの中心人物Eddie Van Halenは新しい時代を切り拓いたギタリスト。彼のタッピング奏法の派手なギターソロ以上に、楽しそうに満面の笑みでギターを弾く姿が脳裏に焼き付いているのではないでしょうか。
【Eddie】は先輩ミュージシャンを亡くした喪失感を唄うのでなく、彼がどれだけ夢を持って生きたのか生き抜いたのかを忘れないでというメッセージです。
こちらは2022年オースティンで初披露された時の映像です。
2022年オースティンでの初披露の際、Van Halenへの思いが詰まった楽曲なので若干緊張気味にスタートします。
次第に演奏に熱を帯びてくる、ジョンのソロから後半にかけてが最高にカッコいい
【Eddie】は2022年のアルバム『RETURN OF THE DREAM CANTEEN』に収録されています。
もしよかったら一つの解釈として読んで頂けると嬉しいです。
【Eddie】lyric
[Verse 1]
Sailing the Sunset Strip, I’m a bit of a king
Granny will take a trip, I’ll be bending the string
Got hammers in both my hands, such a delicate touch
They say I’m from Amsterdam, does that make me Dutch?
[Chorus]
Please don’t remember me for what I did last night, oh
Please don’t remember me, Lord and children
Please don’t remember me, it’s only 1980
It’s only 1983
[Verse 2]
Smokin’ the reefer, feeling my own life
My brother’s a keeper, I married a TV wife
The devil’s Camaro parkеd in a high school lot
A leather sombrero ‘causе teacher was way too hot
[Chorus]
Please don’t remember me for what I did last night, oh
Please don’t remember me, listen, Lord, now
Please don’t remember me, it’s only 1980
It’s only 1983
[Bridge]
Tell my love, but leave me never
Can’t complain about the weather
Snowing at the Rainbow, have a ball
Cut my teeth down at the Whiskey
GTOs tried to kiss me
One more song, they have seen it all
[Guitar Solo]
[Chorus]
Please don’t remember me for what I did last night, oh
Please don’t remember me, what I say, Lord
Please don’t remember me, it’s only 1980
It’s only 1983
[Post-Chorus]
Please don’t remember me for what I did with David
You know I’m talkin’ David Lee, am I ready?
Please don’t remember me for what I did last night, oh
I guess I played a Flying V
[Instrumental Outro]
geniusより出典
【Eddie】歌詞の和訳
[Verse 1]
サンセットストリップを颯爽と歩いていると
俺はちょっとした王様気分
なじみの服屋で
俺はチョーキングでギターを唸らせ
両手でタッピング(奏法)しながら
なんて繊細なタッチで・・
彼らは俺がアムステルダム出身だって?
だからって俺はオランダ人だというのか?
[Chorus]
昨夜の俺がしたことを思い出さないでくれ
お願いだから思い出さないでくれ
神よ、神の子たちよ
忘れてくれよ、あれは80年代の話だから
そう、1983年のことだ
[Verse 2]
マリファナを吸って
俺の進むべき道を感じている
兄は俺を支えてくれる
俺はTVの中の女優と結婚した
高校の駐車場に停められてる悪魔のカマロ
先生がセクシーだと、ちょっとその気になっちゃうね
[Chorus]
昨夜の俺がしたことを思い出さないでくれ
お願いだから思い出さないでくれ
神よ、神の子たちよ
忘れてくれよ、あれは80年代の話だから
そう、1983年のことだ
[Bridge]
俺の妻に話すよ
「でも絶対に離さないでくれ」って
天気は誰も決められないのさ
レインボー・バーで打ってるヘロイン
さあ 楽しもう
ナイトクラブでは歯が立たない
ガールズバンドが俺にキスしようとして来たよ
「もう一曲やってくれ」って
アイツら全員でこっちを見てるんだぜ
[Guitar Solo]
[Chorus]
昨夜の俺がしたことを思い出さないでくれ
お願いだから思い出さないでくれ
神よ、俺は何て言いましたか?
忘れてくれよ、あれは80年代の話だから
そう、1983年のことだ
俺がデイヴィッドとのライブを忘れてくれ
分かるだろ、デイヴィッド・リーのことさ。
準備できてるかい?
昨夜の俺がしたことを思い出さないでくれ
お願いだから思い出さないでくれ
たぶん、フライングVを弾いてたと思うんだ
メンバーのインタビュー紹介
【Eddie】は、2020 年に亡くなったEddie Van Halen (タイトルの【Eddie】) の視点で歌われています。インタビューを読むと彼らにとっていかに大きな存在だったのか感じることが出来ます。
アーティストが亡くなるまで、そのアーティストにどれだけ深い影響を受け、つながっているかに気づかないことがある。
Eddie Van Halen は唯一無二の存在だった。彼の死の翌日、Flea がエモーショナルなベースラインを持ってリハーサルにやってきた。John とChad と俺は一緒に演奏し始めた。やがて心をこめて、彼を称える歌がすらすらと展開された。
俺たちの人生に多くのものを与えてくれた人物のことを、これほどまでに悲しみ、思いやることができるのは、とてもいい気分だった。
この曲にはEddie の名前は出てこないが、サンセットストリップでの彼の初期の頃やVanHalen が俺たちの心に描いたロックンロールのタペストリーのことが歌われている。最後に、俺たちの曲は Eddieが死んだことを思い出すのではなく、彼の最もワイルドな夢を生きたことを思い出してほしいと願っているよ
– アンソニー・キーディス
Rolling Stone Japanより引用
30代~40代のハードロックファンでEddie Van Halenの名を聞いたことのない人はいないでしょう。
ジョンも例にもれず、レコーディングの合間などにジョンはEddie Van Halenのトレードマークのタッピングをしたりしているそうです。
「スタジオにいるときやテイクの合間は、いつも両手でタッピングをしたりしている。エンジニアはいつもそれを聴いているよ。
休憩時間には本当に派手なものを演奏しているけど、レコーディングではその曲に合っていると思うことをやっているから、ほとんどの場合、派手な演奏はしない。でも、それはそれで楽しいんだよ。
amassより出典
Eddie Van Halenはギタリストの新しい時代を切り拓いた一人です。
ギターソロ以上に楽しそうに満面の笑みでプレイする姿が、脳裏に焼き付いている方も多いのではないでしょうか。【Eddie】を聞いて彼の死を悲しむのではなく、彼の笑顔と彼の人生を思い出してほしい。
彼らの願いが詰まった楽曲が【Eddie】です。
【Eddie】歌詞に登場する単語
【Eddie】の様々な単語は和訳によっては、解釈がかなり違ってしまう部分もあるので、一つずつ解説していきます。
『Granny Takes A Trip』
『Granny Takes A Trip』は60年代から有名なブティック(服屋さん)のことです。おばあちゃんが旅行に行ってる、の意味ではありません(笑)。
1960年代にロンドンでEddie Van Halenの他に Syd Barrettや、Johnが好きなPink Floydのメンバーも通っていたお店。
あの時代のアーティストの服はほぼ『Granny Takes A Trip』らしいです。
LAの『サンセットストリップ通り』
LAの『サンセットストリップ通り』は歌詞に直接登場しませんが、地名として関係してるので紹介します。
『サンセットストリップ通り』
ウェスト・ハリウッドの市街地を抜けるサンセット・ブールバードの延長2.7 km の部分。ブティック、レストラン、有名なロッククラブやナイトクラブなどがあり、1970年代末から1980年代にかけてはLAメタルの聖地となりました。
『サンセットストリップ通り』で活躍したバンドは名だたるアーティストばかりです。
Van Halen兄弟はアムステルダム出身
1955年1月26日にオーストラリアのアムステルダムで生まれたEdward Van Halen (Eddie Van Halen)。
1962年に両親と兄Alex Van Halen(ドラム) と一緒にカリフォルニア州パサディナに引っ越してきました。引っ越したばかりのよそ者は、いじめられたり、いじられたりする場合が多いそうです。
Edward Van Halen は移民扱いされた事を言及していたので、「アムステルダムから来た奴」とアンソニーは書いたのでしょう。
アルバム『Balance』(1995):4曲目Amsterdam(アムステルダム)
この曲の歌詞についてEddieはAmsterdamの歌詞の「wham, bam, Amsterdam」の部分は、大麻吸引のことらしく「歌詞は最低限何かを考えさせるべきだし、暗喩的であれとさえ思うんだよ」
とSammy Hagar(Vo)を批判していました。
TV wife とは?
TV wife は、スラングで世間から良く思われるために、男性が選んで結婚した相手のこと。
Eddieの奥さんは、当時人気のドラマに出ていた女優 ヴァレリー・バーティネリ。
アンソニーはヴァレリー・バーティネリが当時TVドラマに出ていた為、TV wife と書いたのかもしれない。
Eddieとヴァレリー・バーティネリは2007年に離婚していますが、二人の関係はどうだったのでしょうか?
ヴァレリー・バーティネリは2001年にエディ・ヴァン・ヘイレンと破局して、2007年に26年の結婚生活を経て離婚している。しかし、2人はウォルフガング・ヴァン・ヘイレンの共同親権があったために連絡を取り合っており、喉頭がんと診断された後はより近い関係になっていて、エディ・ヴァン・ヘイレンの最後の数週間は毎日病院を訪ねていたという。
「『’I love you』、それがエディがウォルフガングと私に言った最後の言葉でした」と近日発売予定の回想録『イナフ・オールレディ:ラーニング・トゥ・ラヴ・ザ・ウェイ・アイ・アム・トゥデイ(原題)』には記されている。「私たちが彼が息を引き取る前に最後に言った言葉も『’I love you』でした」
『ピープル』誌は同書から次のように引用している。「私は自分で説明できる以上にエディのことを愛していました。彼の魂を愛しています。私が憎んでいたのはドラッグとアルコールです。彼のことを憎んだことはありませんでした。私は彼の抱えた痛みを見てきました」
NME Networks Media Limited.より出典
サンセットストリップにある『Rainbow Bar』
LAのサンセットストリップにある『Club Rainbow』のこと。
『Club Rainbow』
1970年代はパンクやニューウェイブの聖地。1980年代はヘヴィメタルムーヴメントの代名詞となりました。『Club Rainbow』は有名なロキシー・シアターの直ぐ隣にある象徴的な場所。
アンソニーも自伝『Scar Tissue』で当時を語っています。
アンソニーの自伝『Scar Tissue』の和訳版すでに絶版で、高額取引でされています。ですが洋書でも翻訳しながら読むことは十分可能です。
Kindle端末、PC 、スマホでの翻訳の仕方をこちらの記事で解説しています。
【Whiskey a go go】
歌詞にあるWhiskeyも、サンセットストリップにある【Whiskey a go go】というbarの名前。
【Whiskey a go go】は当時のロック系アーティストのキャリアの出発点となっていました。
こちらはサンセットストリップのドキュメンタリー映像です。
Snowが指し示すもの
Snow は、【Snow (Hey Oh)】でも歌われていますが、粉末ヘロインやコカインのことです。
Eddieの元奥様のヴァレリー・バーティネリは「私が憎んでいたのはドラッグとアルコールです。彼のことを憎んだことはありませんでした」
と語っていましたね。
Eddieがこれらをやらずにいたらもう少し長生きしたのでしょうか・・・
【GTO】はバンド名
GTOはスラングとしては様々な意味があるようですが、LAを拠点として活動していたと言うバンドの説を押したいです。
GTO
ジョン も崇拝するFianak Zappa がグルーピーの女の子達を集めて作ったバンド。サンセットストリップを中心に1968年から1970年まで活動
アルバムも1969年の『Permanent Damage』1枚のみで、1974年に再会した記念に1回だけライブをしたようです。
音源を聞くとなかなかぶっ飛んでいて、さすがFianak Zappaという内容。
興味あったらどうぞ。
Van Halenとレッチリの1983年
歌詞にでてくる1983年はレッチリの結成された年でもあります。
また、1983年のVan Halenの歴史でいうと【US FESTIVAL】への出演があります。
会場の設営にかかる経費はウォズニアックが負担したため、スポンサー企業の広告なども一切なく、カリフォルニア州デボア近郊のグレン・ヘレン地方公園に仮設ステージが設営されました。
【US FESTIVAL】は3日間開催され、Van Halenは2日目のヘッドライナーとして真夜中に登場。
アルバム【1984】が出る前、【ダイヴァー・ダウン】の頃の彼ら。時間帯が遅かったにも拘らずデイヴィッド・リーロスの半ケツ衣装のお祭りライヴ。
勿論Eddieも超笑顔で走るわ飛ぶわノリにノッてのハイテンション。
彼の笑顔にやられるわ~・・
【Eddie】を作られた意味
エディ・ヴァン・ヘイレンが亡くなった時、世界中のファンやミュージシャンが悲しみに包まれました。
多くのミュージシャンがコメントを発表
当時のFLEAのインスタグラム
Eddie Van Halen の視点で書かれた歌詞
【By The Way】と同じようにベースの ギターからスタートする【Eddie】
ジョンのギターもフリーのリフもいつまでも頭に響き渡る・・・彼らの愛で包まれた曲です
アンソニーは先輩ミュージシャンを亡くした喪失感を唄うのでなく、彼がどれだけ夢を持って生きたのか生き抜いたのかを忘れないで欲しいと伝えています。悲しみはいつかは消えるけど、彼の生きたストーリーは無くならない。
48曲の最後に収録した【Eddie】のギターソロ
アルバム『UNLIMITED LOVE』も『RETURN OF THE DREAM CANTEEN』も同じ時期に生まれたアルバムです。
アルバム用にレコーディングした48曲のソロのうち、ジョンが最後に録音したのが【Eddie】のギターソロだったそうです。
「しばらく試行錯誤していたんだけど、何をやってもうまくいかなかった。エディ・ヴァン・ヘイレンの方向に行きすぎていて、忙しすぎて両手で叩きすぎて自分らしくなかったし、あるいは、ただやっているだけで僕らしく聴こえなかった…。
“エディ・ヴァン・ヘイレンのことを歌った曲だから”ということを意識するのをやめて、ただ自然にやったんだ。レコーディングをしていて、15分くらい休憩した。で、戻ってきたら、さっき言ったよう感じで、全部ワンテイクでやったんだよ」
人によっては真新しさがないと言うかもしれませんが、4人それぞれがミュージシャンがという立場として、自分の音を確かめながら演奏している。
この音はエディに届いているのかな・・きっと届いているはず!
まとめ
今回はライブでもジョンのソロが見どころの【Eddie】を解説しました。
【Eddie】は歌詞を知らなくても十分ノスタルジックな曲であるし、歌詞の意味知るとEddie追悼の歌になります。Van Halenが好きな人達には、Eddie の若かりし頃を思い出し、より彼を好きになる曲でしょう。
私自身、Van Halenへの愛を思い出し、ますますレッチリが好きになりました。
カルマ(業)というものがあるけれど、やはり彼らはいろいろなものを背負って、音楽を鳴らす希少なアーティストだと思います。
胸を打つ音楽ってテクニックじゃないんですよね・・
あくまでもこの解釈は私の考えなので、反対の意見があっても歓迎です。
皆さんの考える【Eddie】をコメント欄に頂けると嬉しいです。
【和訳と深堀り】は他の曲も取り上げています。
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